朝、様子がおかしい。
返事が短い。目を合わせない。パソコンに向かったまま動かない。
何かあったのは、誰が見ても分かります。でも本人に聞くと、「いえ、何でもないです」と返ってくる。
こういうとき、私は何もしません。「どうした?」と聞き出すことも、そっとしておくことも、特別にはしません。
冷たいと思われるかもしれません。そうではありません。何もしないことを選んでいます。そこには理由があります。
やっているのは、差をつけないことだけ

声のかけ方も、回数も、変えない
具体的に何をしているかというと、本当に単純です。他の人と、差をつけません。
普通に挨拶する。普通に仕事の話をする。普通に頼む。
声をかける回数も、話すときの態度も、変えません。避けもしないし、近づきもしません。
「今日は機嫌が悪そうだから、この話は後にしよう」——これをやりません。
「何かあった?」と踏み込むことも、しません。
そこにいる一人として、いつも通り扱います。
これが全部です。テクニックでもなんでもありません。
反応した瞬間、不機嫌は「伝わる手段」になる

態度に応えると、態度で伝える人になる
なぜ、何もしないのか。
反応すると、それが通じてしまうからです。
不機嫌な態度に、周りが気を遣う。腫れ物に触るように接する。そうすると、何が起きるか。
「態度で示せば、伝わる」という経験が残ってしまいます。
本人に、そういう計算があるわけではないと思います。たいていは無意識です。
でも、結果として残ります。言葉で言わなくても、周りが察してくれる。気を遣ってくれる。
それが何度か続けば、態度は「通じる手段」になってしまう。
そして、いちばん困るのは本人だと私は思っています。
態度で伝わる環境は、言葉で伝える機会を奪ってしまうからです。
言葉にする練習をしないまま、年次だけが上がっていく。そのほうが、ずっと苦しくなるはずです。
だから、反応しません。冷たくするのではありません。態度に応えない、というだけです。
言いたいことがあるなら、言葉で言えばちゃんと聞きます。そこは、いつでも開いています。
こちらの感情のほうを、先に見る

イラッとするのは止められない。でも、気づくことはできる
私にも感情はあるので、一瞬イラッとすることはあります。態度に出されると、こちらも人間なので反応します。ただ、すぐに気づくようにしています。
「あ、いま自分は反応した」と分かる。そこで落ち着かせます。
感情を消すことはできません。良いことも悪いことも、感情は勝手に湧いてきます。それを止める方法を、私は知りません。
でも、湧いた感情を客観的に見ることはできます。これは訓練だと思っています。
それでも、放置とは違う

見ていないのではなく、いつも通り見ている
「何もしない」と「見ない」は、まったく別のことです。
いつも通りに接するというのは、いつも通り見ているということです。
仕事の進み方を見る。声のかけ方を見る。そこに変化があれば、仕事の話として扱います。
「機嫌が悪そうだけど」ではなく、「この件、止まっているようだけど」と聞きます。感情には触れません。事実だけ扱います。
そして、事実の話をしているうちに、たいてい本人から出てきます。「実は」と言い出す瞬間があります。そのときは、ちゃんと聞きます。
逆に、最後まで出てこないこともあります。それでいいと思っています。言いたくないことを言わせるのは、仕事ではありません。
最後に——
「何もしない」は、いちばん簡単に見えて、たぶんいちばん難しいことです。放っておくのとは違います。気にしていないのとも違います。
気づいたうえで、いつも通りにする。
これは、自分の状態が一定でないとできません。
相手が不機嫌だから、こちらの態度も変わる。それは、相手の機嫌に自分が動かされているということです。
動かされていると、いつも通りにはできません。だから私は、相手の機嫌ではなく、自分の感情のほうを見ています。
そこが静かであれば、あとは普通にしているだけで足ります。
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