まだ期日には余裕がある。そう思った仕事が、結局ぎりぎりになった。
そういう経験は、たぶん誰にでもあります。
私にもあります。
稲盛和夫氏の『京セラフィロソフィ』に、「土俵の真ん中で相撲をとる」という言葉があります。
単に余裕を持って仕事をしましょう、という話に聞こえるかもしれません。
でも、読むと逆でした。
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは何か

真ん中にいるうちから、土俵際のつもりでいること
稲盛氏は、「京セラフィロソフィ」でこのように書いています。
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。
納期というものを例にとると、お客様の納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて、渾身の力をふり絞ってその期日を守ろうとすることです。そうすれば、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客様に迷惑をおかけすることはありません。——稲盛和夫『京セラフィロソフィ』
余裕があるうちに、余裕がないつもりでやる。
それが「土俵の真ん中で相撲をとる」です。
余裕を油断にするのではなく、余裕を先に使い切る覚悟でやる。
稽古でも同じことが起きる
「また次回もある」と思った瞬間、稽古が流れ作業になる
合気道の稽古でも、これは起きます。
「今日できなくてもいいや。また今度も稽古がある」と思った瞬間、稽古がただの流れ作業になってしまう。
身体は動いています。技もかけています。でも、中身がありません。
逆に、集中できているときは、こうです。
この瞬間の、この技の、この一動作。
そこに気を入れる。相手と気を合わせる。
油断していない状態です。
この感覚をしっかりと稽古しないと、上達しません。
稲盛氏の言う「土俵際」は、これと同じことだと思っています。
納期まで日があると思っている状態が、稽古を流している状態です。
「まだある」と思った瞬間から、仕事は後手に回る

遅れるのは、意志が弱いからではない
まだ期日があると思うと、どうしても取り掛かるのが遅くなります。
そして、そのあいだに何が起きるか。
別の仕事が入ってきます。さらにトラブル対応が割り込んできます。
そうやって、予定は後ろへ後ろへとずれていきます。
これは、意志が弱いから起きるのではありません。
仕事は、必ず増えるからです。
いま手元にある量のまま、期日まで平穏に進むことはありません。必ず何かが割り込みます。
だから「まだある」と思った時点の余裕は、幻です。
だから、こうします。
期日にまだ余裕があっても、期日を早めて設定します。そして、その早めた日を照準にして、最初からセッティングします。
そうすると、予期しないトラブルが来ても耐えられます。
これが、稲盛氏の言う「土俵の真ん中を土俵際だと思う」ということだと理解しています。
すべてを前倒しにはできない現実
意識しているかどうかだけでも、結果は変わる
そうは言っても、多くの仕事を抱えていると、どうしても後回しにせざるを得ないものが出ます。
全部を前倒しにするのは、無理です。だから、優先順位をつける必要があります。
それでも——受けた仕事の納期や期限に、前倒しの日を設定する。あるいは少なくとも、それを意識して仕事をする。
これは、極めて重要で、実際に役に立ちます。自分の身を助けます。社内にも、社外にも、迷惑をかける確率が下がります。そして、それが信頼になります。
今日の稽古
「まだ時間がある」は、余裕の保証ではない。先送りの、別の言い方だ。
「まだ日がある」と余裕に思ったとき、こう自分に言い聞かせる。
『ここが土俵際だ』と。
今日も私は、期日より前に自分の土俵際を置く稽古を続ける。
◾️合わせて読みたい
- 【前倒しできずに、手を抜いてしまうとき】
誰も見ていないところでの手抜きが、どこに出るのかを書きました。
▶︎ 手抜きは、誰にもバレない。稲盛和夫と合気道に学ぶ「安逸を求める心」に克つ稽古 - 【自分の仕事に、始末をつけるということ】
期限を守ることも、始末をつけることの一つだと思っています。
▶︎ 最強の護身は、争わないこと。稲盛和夫と合気道に学ぶ「自分で始末をつける」稽古 - 【稲盛和夫の言葉が「宗教っぽい」と感じたとき】
その違和感を、合気道の考えで検証してみました。
▶︎ 稲盛和夫は何がすごいのか。「宗教っぽい」と言われる哲学を、合気道の考えで検証してみた
◾️この記事を書くにあたって読み返した本

コメント