押しても動かない。
だから、もっと強く押す。
根回しを増やし、資料を足し、言葉を強くする。
それでも、動かない。
道場でも、同じことをしていました。
力を入れるほど、技はかからなくなります。
本当に技がかかったときは、いつのまにか倒れている
相手は、かけられたことに気づいていない
技がきれいに決まったとき、手応えがありません。
投げた、という感覚が残らない。
気がついたら、相手が倒れています。
相手が技をかけられたことに気づかないくらい、自然に導かれている。
抵抗する場所がないので、抵抗も起きません。
うまくいっているときほど、何もしていないように感じます。
形だけできていても、技にはなっていない

気がないと、ただの力比べになる
逆に、はっきりした手応えがあるときがあります。
相手が踏ん張って、こちらが押し込んで、力で倒したときです。
見た目には、相手が倒れています。
形もできている。
それでも、技にはなっていません。
ただの力比べです。
合気道では、気を通して技が完成します。
形だけできているように見えても、そこに気がなければ、本当には技になっていない。
相手と気を合わせ、つながって、はじめて技になります。
触れていなくても、気を出して合わせることはできます。
文字通り、気を合わせてこその合気道です。
中村天風「空気の中に気があるわけではない」

目に見えているものは、本体ではない
中村天風氏は『運命を拓く』の中で、こう書いています。
人間も、この霊妙な気の持つ力の中にいるからこそ生きていられるのである。空気の中にいるから生きているのではない。万物創造の霊妙な働きをなす気が空気を作り、この気の中に空気が作られているのである。そして空気の中にある酸素、窒素などが我々の肉体生命の新陳代謝を行なうために命の火を燃やしているのである。空気の中に気があるわけではない。
(中村天風『運命を拓く』より)
空気は目に見えません。
それでも、成分を測れば分かります。
酸素、窒素。扱える形をしています。
天風氏は、その手前にもう一つあると言っています。
扱える形になっているものが、本体ではない。
道場の話と、重なるところがあります。
形は目に見えます。
手応えも感じられます。
ただ、技を成り立たせているのは、そちらではありませんでした。
今日の稽古

手応えを求めると、力む。
力むと、相手はぶつかる。
ぶつかれば、押し返される。
本当に気が通っているときは、やっている感じがしない。
相手も、動かされたことに気づかない。
手応えがないのは、失敗しているからとは限らない。
むしろうまくいっていることがある。
空回りしていると感じるとき、こう自分に言い聞かせる。
「力比べか、それともうまくいっているのか」と。
今日も私は、気を通す稽古を実践する。
■ こちらの記事もあわせて読まれています
【力んでしまうとき】
気を出すのは、頑張ることではありませんでした。
▶︎ 信念とは、頑張ることではない。中村天風と合気道に学ぶ「気を出す」稽古
【つい押し返してしまうとき】
ぶつかると、必ず返ってきます。
▶︎ 論破するな、脱力せよ。デール・カーネギーと合気道に学ぶ「押し返さない」稽古
【見えない気を信じきれないとき】
同じ『運命を拓く』から、気の働きについて書きました。
▶︎ 見えない「気」を味方にする。中村天風と合気道に学ぶ「運命」の稽古
■ この記事を書くにあたって読み返した本

コメント