感情に振り回されます。
嫌なことがあれば引きずるし、気にしないと決めても、決めたとおりにはなりません。
自分のことなのに、自分の言うことを聞いてくれない。
中村天風氏は『成功の実現』の中で、こう言っています。
「自分というものは肉体や心の奴隷でもなく、従者でもない。したがって肉体や心に使われるべきでない。どんな場面でも、心をりっぱに使いこなしていかなければいけない」という悟りを開かなければだめだよ。それがほんとうの完全な人間なんだ。
(中村天風『成功の実現』より)
自分は、奴隷でもなく、従者でもない。
天風氏は、自分と、心や身体を、別のものとして分けています。
合気道の道場で、このことを実感しています。
中村天風『成功の実現』が言う「心の奴隷」とは

感情に振り回されるのは、心に使われている状態
普通は、心も身体も自分のものだと思っています。
自分そのものだと感じている。
天風氏は、そこを切り離します。
奴隷でも、従者でもない。
つまり、心や身体に仕えている状態ではないということです。
イライラしたから声が荒くなる。
落ち込んだから手が止まる。
それは心に使われている状態です。
そして天風氏は、そう気づくだけでは足りないと言っています。
「使いこなしていかなければいけない」という悟りを開かなければだめだ、と。
それが、ほんとうの完全な人間なんだと言い切ります。
ただ、実際にやろうとすると、これはかなり難しいことです。
自分の身体ひとつ、思ったとおりには動かない
やったことのない動きは、心も身体も準備ができていない
合気道を始めて、まず驚いたのはここです。
自分の身体なのに、思うように動きません。
これまで使ったことのない動きをするので、心も身体も慣れていないのです。
体験したことのないものには、準備ができていません。
頭では分かっています。
この足をこう出して、この手をこう回す。
それでも、そのとおりにならない。
自分の身体ではないのかと思うくらい、言うことを聞かない。
心を使いこなす以前に、身体ひとつが使いこなせません。
心をコントロールするには、順番がある
意を注いで心を整えて、身体を動かす
では、どうすると動くのか。
意を注いで、心のあり方を整える。
そのうえで、意識して身体を動かす。
そうすると、動くようになります。
身体をなんとかしようとしても、心が整っていなければ、また同じところで止まります。
あたりまえのことのようですが、自分の身体ひとつを本当に思いどおりに動かそうとすると、それなりの修練が要ります。
そして少しずつ動くようになったとき、主導権を自分が取っているという実感があります。
身体に引きずられているのではなく、こちらが動かしている。
天風氏が「使いこなす」と言ったのは、たぶんこういうことだと思います。
今日の稽古

身体が思いどおりに動かないのは、やったことがないからだった。
心も、扱ったことがなければ、思いどおりにならなくて当然だと思う。
だから、できないことを責めなくていい。
練習していないだけだ。
感情に持っていかれそうになったとき、こう自分に言い聞かせる。
「自分は、心と身体の奴隷ではない」と。
今日も私は、心を使いこなす稽古を実践する。
■ こちらの記事もあわせて読まれています
【「意を注ぐ」がよく分からないとき】
天風の訓練を、稲盛和夫氏が受け継いだ話です。
▶︎ 中村天風のメンタルは、精神論ではない。稲盛和夫が受け継いだ「意を注ぐ」という訓練
【心と身体の関係が気になるとき】
天風は潜在意識を「肉体の建設者」と呼びました。
▶︎ 潜在意識とは何か。中村天風は「肉体の建設者」と呼びました
【つらさが消えないとき】
苦しみを決めているのは、出来事ではありませんでした。
▶︎ 苦しみは、心が決めている。中村天風と合気道に学ぶ「ニコニコ笑う」稽古
■ この記事を書くにあたって読み返した本

コメント