読んだそばから忘れてしまう。
それでも、身についていないわけではありません。
苦しいときや、ふとした瞬間に、すっかり忘れていた一言が蘇ってくることがあります。
私自身、何年も前に読んだ一行が、いちばん苦しい場面で出てきたことがあります。
合気道でも、何年も前に言われた注意が、あるとき突然わかることがあります。
稲盛和夫氏は『成功への情熱』で、原理原則に基づく判断は、時間や空間を超えて受け入れられると書いています。
覚えているかどうかではなく、必要なときに出てくるかどうか。
時間を超えるというのは、そういうことだと思っています。
稲盛和夫「時間や空間を超えて、受け入れられる」

「原理原則」に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、人間として正しいことを正しいままに貫いていこうということです。人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、どのような状況においてもそれは受け入れられるのです。そのため、正しい判断基準を持っている人は未知の世界に飛び込んでも決してうろたえたりはしないのです。
(稲盛和夫『成功への情熱』より)
原理原則という言葉は、少し硬く聞こえます。
ただ、稲盛氏が語っているのは、特別な理論のことではありません。
人間社会の道徳、倫理といわれるもの。
人として正しいこと。
そこを基準にする、という話です。
そして、そういう判断は時間や空間を超える、と言います。
空間を超えるのは、想像しやすいことです。
それは、相手が変わっても、場所が変わっても、通じるということです。
忘れていても、出てくる
時間を超えるほうは、自分の身に起きてから分かりました。
具体的にどの本のどの章だったかは、思い出せません。
それでも出てきます。
近い場面に立ったとき。
似た言葉を聞いたとき。
同じような光景を見たとき。
そのときに初めて、あの一行はこういうことだったのか、と分かります。
読んだ瞬間に身についたわけではありません。
読んだときは通り過ぎていて、忘れていて、それでも残っていたのです。
稽古も、同じように出てきます

合気道でも、似たことが起きます。
何年も前に言われたことが、あるとき突然できるようになる。
そのときは意味が分からなかった注意が、身体が変わってから、意味を持ちはじめます。
言われた直後にできるようになるわけではありません。
何百回も繰り返して、忘れて、また言われて、あるとき身体のほうが先に動きます。
本も稽古も、覚えているかどうかではありません。
身体や心のどこかに残っていて、必要な場面で出てくるかどうかです。
合気道は、原理原則に合わせる武道です
合気道は、争わない武道です。
相手とぶつからず、気を合わせる。
力に逆らわず、道理に合わせる。
宇宙の原理原則を体現している武道だから、人生の原理原則を掴むのに相性がいいのだと思っています。
稽古を積みながら、真理の道を歩いていける。
道は続きます
原理原則は、覚えるものではなく、身につくまで時間がかかるものです。
一度読んだだけでは残りません。
何度も読んで、忘れて、また読む。
そうやって少しずつ、判断のほうが変わっていきます。
そして身についたものは、時間を超えて出てきます。
だから、続けることに意味があります。
今日の稽古

いま学んでいることが役に立つのか分からなくなるとき、こう自分に言い聞かせる。
「いま分からなくても、あとから出てくる」と。
今日も私は、道理に合わせる稽古を続ける。
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