常識に頼らず「本質」を見る。稲盛和夫と合気道に学ぶ原理原則の稽古

仕事の中で迷ったとき、私たちはつい「どの会社でもだいたいこうやっているから」「これがこの業界での常識だから」と、前例や周囲の状況に頼って安易な判断をしてしまいがちです。

しかし、予測不能なトラブルや、いまだかつて遭遇したことのない新しい状況に直面したとき、過去の「常識」は全く役に立たなくなってしまいます。

目次

経営の常識ではなく「本質」で判断する

稲盛和夫氏は、著書『京セラフィロソフィ』の中で、ものごとの「本質」を見極める重要性についてこのように語っています。

われわれは、いわゆる経営の常識というものに頼ることはしません。「たいていの会社ではこうだから」という常識に頼って安易な判断をしてはなりません。
組織にしても、財務にしても、利益の配分にしても、本来どうあるべきなのか、ものの本質に基づいて判断していれば、外国においても、また、いまだかつて遭遇したことのない新しい経済状況にあっても、判断を誤ることはありません。
(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)

「本来どうあるべきか」という原理原則。

それさえブレなければ、どんなに環境が変わっても、どんなに未知の局面に立たされても、決して判断を誤ることはないのです。

「ありえない攻撃」を稽古する理由

この「本質(原理原則)を見極めることで、あらゆる状況に対応できるようになる」という真理は、合気道の稽古にも見られます。

合気道の基本稽古では、あらかじめ決まった形で手首を掴ませたり、正面から真っ直ぐに打ち込んできたりします。
初心者のうちは、「実際の喧嘩で、こんなふうに素直に腕を掴んでくる人なんていない」「こんな正面打ちの攻撃なんてありえない」と疑問に思うこともあるでしょう。

しかし、私たちが稽古しているのは「路上の喧嘩のテクニック」ではありません。
どんな攻撃に対しても対応できる「本質」を身体に叩き込んでいるのです。

相手と気を合わせる。
力でぶつからない。
入り身、転換。
間合い、角度、タイミング。

一見すると非現実的な基本技の反復は、こうした「武道の原理原則」を純粋に抽出し、体現するためなのです。

究極は「攻撃すらされない人間」になること

この地道な基本技の反復を何百回、何千回と積み重ねていくと、やがて本質が身体に染み込み、考えなくても自然に動ける状態にまで高まっていきます。
すると、基本技の応用である「自由技」や、同時に複数人を相手にする「多人数掛け」のような予測不能な攻撃に対しても、全く慌てることなく落ち着いて捌けるようになるのです。

そして、その地道な稽古の先にある最大の目的は、相手をやっつけることではありません。
稽古を通じて人格を磨き、自然体で正しい間合い(人間関係の距離感)を取ることができるようになり、最終的には「攻撃すらされない人間」が完成していくのです。

それこそが、私たちが目指す道であり、一生をかけて稽古を続ける価値のある本質なのです。

今日の稽古

前例のないトラブルに直面した時、自分にこう語りかける。
「本来どうあるべきか、という本質で考えよう」と。

地道な基本の反復こそが、あらゆる変化に対応できるブレない軸をつくる。
今日も私は、安易な常識に頼らず、ものごとの本質を見極める稽古を実践する。

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■ この記事を書くにあたって読み返した本

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感想(14件)



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この記事を書いた人

こんにちは。
合気道のまさです。

「本を読むだけで人生は変わる!」をモットーに名著を紹介しています。

私自身、稲盛和夫さんや中村天風さんなどの本を「稽古」のように繰り返し読んだことで、その思想や哲学を、頭だけでなく無意識のレベルで身につけることができました。

このブログでは、名著のエッセンスを、合気道の身体感覚を交えながらわかりやすく解説しています。

私と一緒に、人生を切り拓く稽古を始めませんか。

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