押しの強い人の前で、言い返せなくなることがあります。
言うべきことは分かっている。
それでも、言葉が出てこない。
気が弱いのだと思って、そのままにしてきました。
稲盛和夫氏は『京セラフィロソフィ』の中で、こう語っています。
何をするにしても小心で、最初はビビってしまうようなタイプの人が、経験を積んでいくことによって、つまり、「場数を踏む」ことで度胸を身につけていく。そのような人こそが、真の勇気を持った人なのです。
(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)
元から怖がらない人を勇気の持ち主だと呼んでいません。
ビビってしまう人が、場数を踏んで度胸をつける。
そんな人を真の勇気をもった人と言っています。
合気道を15年以上続けてきましたが、道場に来る人は、まさにこのタイプの人だと感じています。
稲盛和夫が「真の勇気」と呼んだのは、気が弱い人のほうだった
小心な人が、場数を踏んで度胸をつける
この一節は、順番を書いています。
小心である。最初はビビる。
場数を踏む。度胸がつく。
はじめから怖くない人は、ここに入っていません。
怖がる状態から始まる。
そして、そこを通った人を真の勇気を持った人と呼んでいます。
生まれつきの気質の話ではなく、経験値の話です。
合気道を始める人は、たいてい大人しい
攻撃したいのではなく、身を守りたい
道場に来る人を見ていると、性格的に大人しい方が多いです。
他人を攻撃するようなタイプではありません。
それでも、護身術として何かを身につけたいと思っている。
合気道は、特にそういう人に合っています。
相手が攻めて来なければ、そもそも戦う必要がありません。
ただ、いざ襲われそうになったときには、身を守る。
とはいえ、最初は不安です。
本当にそんなことができるのか。
自分にできるようになるのか。
攻撃されそうになれば、身がすくみ、体が固まります。
稲盛氏の言う「最初はビビってしまうタイプ」が、道場で稽古を始めます。
稽古を重ねると、対立しても怯えなくなる
無駄に敵対しないことと、怯えることは違う
そんな人が稽古を積み重ねていきます。
多種多彩な技を、繰り返します。
そうしていると、どんな攻撃でも捌いていけるという感覚が出てきます。
相手と正対しても、力まずに、自然体で対応できるようになります。
そこまで来ると、変わるのは技の上手さだけではありません。
無駄に敵対する必要はない。
ただ、対立することにも怯えない。
ただ怖いことから逃げるのではなく、無駄に避けなくてもいい状態になっている。
必要なら、修羅場にも踏み込める。
これが、稲盛氏の言う真の勇気なのだと思います。
今日の稽古
対立を避けるのと、対立に怯えるのは違う。
外から見ると、どちらも同じだ。
言い返さない。
争わない。
穏やかに見える。
でも中身が違う。
選んで避けているのか、怖くて避けているのか。
そして、その差は場数でしか埋まらない。
性格を変える必要はない。
経験を重ねるだけだ。
小心でもいい。
ビビるところから始めるのだ。
言い返さずに黙っていたとき、こう自分に言い聞かせる。
「怯えたのか、捌いたのか」と。
今日も私は、場数を踏む稽古を実践する。
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