合気道をやっていると言うと、あまり良い顔をされないことがあります。
怪しい。インチキ。実戦では弱い。
そういう印象を持っている人は少なくありません。
中村天風氏は『運命を拓く』で、自分を活かすには心の態度を取り替えるのが先決だと言います。
受け取るものが変わるのは、対象が変わるからではなく、受け取る側の態度が変わるからです。
中村天風「心の態度を取り替えるのが先決」
世界の本質が自然から作られ、自然の中に計り知れない働きを行なう霊智があり、その霊智が見えない人間の生命の中にある心というものの態度で、その受け入れ方が違ってくるなら、自分を完全に活かすには、心の態度を取り替えるのが先決問題ではないか。
(中村天風『運命を拓く』より)
天風氏が言っているのは、同じものを前にしても、心の態度によって受け取るものが変わる、ということです。
だとすれば、先に変えるべきなのは対象ではありません。
自分の態度のほうです。
難しい話に聞こえますが、道場では毎週これが起きています。
「合気道をやっています」と言ったときの反応

合気道をやっていると言って、すぐに尊敬されることは、まずありません。
怪しい武道だと思われることがあります。
試合がないので、弱いと思われることもあります。
決められた型で稽古をするので、インチキだと言われることもあります。
なんでそんな訳の分からないものをやっているのか。
何が楽しいのか。
直接そう聞かれることもあります。
外から見れば、そう見えるのだと思います。
私も、始める前に同じ話を聞いていたら、同じことを考えたかもしれません。
やってみると、面白い

ところが、やってみると面白いのです。
稽古がどれだけきつくても、終わるとまたやりたくなります。
うまくいかない日が続いても、次の稽古が待ち遠しい。
受けを取っているときに、自分がなぜ崩れているのか、どうやって崩されたのかを、身体で確かめることがあります。
何年やっていても、あの感覚は不思議です。
力で倒されたわけではないのに、立っていられない。
その不思議さの奥に、理屈があります。
中心、間合い、崩しの方向、気の流れ。
稽古を重ねるほど、そこに真理の探究のようなものがあると分かってきます。
こういう武道は、なかなかありません。
稽古のたびに、まだ分かっていないことが出てきます。
変わったのは、こちらの態度でした

外から見た合気道と、稽古をしている合気道は、同じものです。
変わったのは、こちらの態度のほうでした。
怪しいと思って眺めているあいだは、怪しいものにしか見えません。
やってみようと思って畳に上がると、まったく違うものが見えてきます。
天風氏の言う「心の態度を取り替える」というのは、こういうことだと思っています。
対象を選び直すのではなく、受け取る側の態度を入れ替える。
まだマイナーな武道です
合気道は、世間ではまだマイナーな存在です。
試合で順位がつくわけでもなく、勝ち負けもはっきりしません。
だから、外には伝わりにくいままです。
ただ、争わず、相手と合わせて、力に逆らわずに導くという考え方は、日本人の身体や気質に合っているのではないかと感じています。むしろ、これほど合うものは、そう多くありません。
だから、合気の魅力を発信していくことが大事だと思っています。
理解してくれる人が、興味を持ってくれる人が、一人でも増える。
それが私のもうひとつの楽しみです。
今日の稽古

外から見て決めつけそうになるとき、こう自分に言い聞かせる。
「変えるのは、対象ではなく態度のほう」と。
今日も私は、楽しんで本質をつかむ稽古を続ける。
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