「周囲の優秀なメンバーと比べると、自分の能力の低さに落ち込んでしまう」
「できる上司から高い目標を示されて、自分には到底無理だと諦めそうになる」
私たちは他者と自分を比較して、自己嫌悪に陥ることがあります。
周囲の華やかな実績やスピード感ある仕事ぶりを見るたびに、自分がひどく未熟に思えてくる。
そして「自分にはあんな才能はないから仕方がない」と、自ら自分の可能性を閉ざしてしまうのです。
しかし、他者との比較によって自らを格下げすることは、本当に正しい姿勢なのでしょうか。
自分を卑下しない。可能性を信じてやり抜く
高い目標に挑む心のあり方について、稲盛和夫氏は著書『京セラフィロソフィ』の中でこう説いています。
ぜひ、決して自分の能力を卑下することなく、自分にはすごい可能性が秘められているのだと信じて、難しいと思うことでもあきらめずにやり抜いていただきたいと思います。
(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)
課題が難しく思える時、私たちは今の自分の能力だけで「できるか、できないか」を判断しがちです。
技量が足りなければ弱気になり、諦める理由を探してしまう。
しかし稲盛氏は、自分にはすごい可能性があると信じて、愚直にやり抜けと語ります。
他者を見て「自分にはあの真似はできない」と卑下する必要はどこにもありません。
この自己信頼があるからこそ、人は困難な局面でも折れることなく、最後まで成果を追い続けられるのです。
達人の技に、愕然とする
この「圧倒的な差に直面しながらも、自分を卑下しない」という葛藤を、私は合気道で実感しています。
今は、動画で世界中の高段者の華麗な技を手軽に見ることができます。
そのスピード、キレ、無駄のない身体の使い方は、息をのむほどの美しさです。
経験が深まるほど、技をかける側だけでなく、技を「受ける側」の凄さに目が向くようになります。
あの極限のスピードと崩しの中で、怪我なく正確に受け身を取るのが、どれほど並大抵でないか。
自分がその立場なら、怖くて身体がすくみ、攻撃することすらできないかもしれない。
そう気づいた瞬間、達人たちとの技量差に愕然とさせられます。
思わず「自分には無理だ」と怖気づきそうになります。
それでも、昨日の自分より前に進んでいる
ここで視点を変えてみます。
比べる相手を、達人ではなく「過去の自分」にするのです。
もともと合気道を始めていなければ、受け身すらまったくできませんでした。
それが今では、実際の稽古で師範のデモンストレーションの相手に毎回指名されるまでになっています。
師範の前に立つと、これからどの技を行うかの説明すらありません。
「突いてこい」「打ってこい」とだけ告げられ、次の瞬間には間合いが詰まる。
何が来るか分からない、一瞬の迷いや遅れが怪我に繋がる恐怖。
その緊迫感と対峙しながら、それでも相手の気の流れに身体を委ねることで、余計な力が抜け、自然と受け身を取れている自分がいます。
動画の達人と比べれば、今の自分はまだ遠く及びません。
しかし、過去の自分と比べれば、確実に成長した自分がここにいます。
その事実にまず自信を持ち、そして「積み重ねればいつか必ず辿り着ける」と信じて稽古に向き合う。
それが、途方もなく見える道をも着実に前に進むために求められる姿勢なのです。
比べる相手を、間違えない
ビジネスやスポーツにおいても、この呼吸が大切です。
社内のトッププレイヤーや、優秀な上司のスマートな判断や行動を見るたび、自分の未熟さを痛感する瞬間はあります。
しかし、他者との能力や力量の差を理由に、自分の可能性まで卑下する必要はどこにもありません。
大切なのは、比べる相手を間違えないことです。
優れた他者と比べて一喜一憂するのをやめ、「昨日の自分より、今の自分がどれだけ前へ進んだか」を見る。
過去の自分がやってきた実績に誇りを持ち、可能性を信じて目の前の課題に愚直に取り組む。
その諦めない姿勢の積み重ねの先に、真の成長が生まれてくるのです。
今日の稽古
優秀な他者と自分を比べ、自信をなくしていないか。
現在の未熟さを言い訳に、難しい挑戦から逃げていないか。
弱気になりそうな時、自分にこう語りかける。
「比べるのは、他人ではない。昨日の自分だ」と。
他者との比較による焦りを手放し、自らの可能性を信じる。
今日も私は、日々の確実な一歩を自信に変え、可能性を信じる稽古を実践する。
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