仕事や日常の中で、私たちは何度も失敗をし、転んでしまうことがあります。
大切なのは「転ばないこと」ではなく、転んだ後に「どう起き上がるか」です。
ただ漫然と同じミスを繰り返すのか。
それとも、その一度の失敗から確かな教訓を掴み取るのか。
その違いは、どこにあるのでしょうか。
転んでもただ起きない「真剣さ」
松下幸之助氏は、著書『道をひらく』の中で、失敗から学び取るための心構えについてこう述べています。
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。 そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、先哲諸星の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。
転んでもただ起きなかったのである。意地きたないのではない。真剣だったのである。
(松下幸之助『道をひらく』より)
「転んでもただ起きぬ」という言葉は、決して強欲さや意地汚さを表すものではありません。
一度の失敗から何かを掴み取ろうとする、圧倒的な「真剣さ」の表れなのだと松下氏は説きます。
真剣に向き合っているからこそ、転んだ場所からでも悟りを開くことができるのです。
惰性の稽古は、しない方がマシである
この「真剣であること」の重要性は、合気道の稽古においても全く同じです。
合気道の稽古において、失敗を恐れる必要はありません。
しかし、一つ一つの動作や技に対して「真剣であること」。
これが欠けていれば、いくら年月をかけて稽古を積んでも決して成長することはありません。
相手の気を感じ取り、丹田と合わせる。
これは、双方が真剣に向き合っていなければ決して感じ取ることのできない微細な感覚です。
慣れが生じて「なあなあ」で惰性の稽古をしてしまうことほど、無駄なことはありません。
集中力を欠いた状態でただ形だけを繰り返すくらいなら、いっそ稽古をしない方がまだマシだとすら言えます。
集中すること自体が「人間性を高める」
一つの技、一つの動作を、濃度濃く稽古する。
上手くいかなければ、その一度の失敗から学び、修正し、またそれができるようになるまで真剣に稽古を繰り返す。
その瞬間に全集中し、真剣になること。
実は、その「真剣になれる集中力」を発揮し続けること自体が、武道における修行なのです。
技の習得を超えて、それは私たちの人間性を高めるための極めて大切な稽古となります。
今日の稽古
日々の仕事や生活を、「なあなあ」でこなしてしまっていないか。
一度の失敗から、本気で何かを学び取ろうとしているか。
惰性に流されそうになった時、自分にこう語りかける。
「今この瞬間、真剣になろう」と。
ただ漫然と生きるのではなく、一瞬一瞬を濃度濃く味わう。
今日も私は、目の前の出来事に全集中し、自らの人間性を高める稽古を実践する。
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