座技で膝行(しっこう)すると、足が痛くて動けない。
正座の姿勢のまま上から押さえられると、相手はビクともしない。
なんとかして技をかけようとしても、動こうとすればするほど足の痛みや相手の重みが加わって、私の身体はどうにも動けなくなる。
「なぜ、こんなに思い通りに動かないのか」
「自分には、合気道の座技は難しいのではないか」
稽古中に、すっかり自信をなくしてしまいそうになることがあります。
今日は、合気道の「座技(ざぎ)」という不自由な稽古の中で感じる苦悩と、中村天風氏が説く「本質的に調和した世界」という教えから、私たちの人生につきまとう思い通りにならない苦しみを、自他を生かす喜びに変えていく心のあり方についてお話しします。
合気道という、ひどく「遠回り」な武道
合気道の稽古には、立って行う技だけでなく、正座をした状態から技をかける「座技」というものがあります。
足腰の自由が奪われた状態で相手の強い力と向き合うため、少しでも力んだり、自分勝手に相手を動かそうとしたりすると、途端に身体が居着いて(固まって)しまい、まったく身動きが取れなくなります。
そんな時、ふと頭をよぎることがあります。
「いっそのこと、力任せに相手を突き飛ばせたらどんなに楽だろうか」と。
格闘技のように、自分の思うままにどんどん相手の隙を突いて攻め込んでいくほうが、よほど派手でカッコよく、分かりやすい強さの証明になるような気がしてしまうのです。
それに比べて合気道は、あまりにも不器用です。
相手を打ち倒すのではなく、まずは相手の力に逆らわずに「気を感じる」。
そして、自分と全く違う身体と力を持った相手と「気を合わせる」。
この作業は、自分のエゴ(自我)を一度捨て去らなければ成立せず、強いもどかしさと苦痛すらも伴います。
結果を急ぐ現代において、合気道の目指す道は、気が遠くなるほどの「遠回り」に思えるのです。
中村天風が説く「本質的に調和した世界」
仕事でも、人間関係でも、私たちはこの座技の稽古と同じように「動けない苦しさ」に直面します。
自分の思い通りにプロジェクトが進まない。部下や上司と意見が合わず、ぶつかって心身を消耗してしまう。
そんな時、私たちは「生きているのは、なんて苦しく悩ましいものなのか」とこの世界を息苦しく感じてしまいます。
しかし、中村天風氏は、著書『運命を拓く』の中で、この世界の真理について全く逆のことを語っています。
この世の中は、苦しいものでも悩ましいものでもない。この世は、本質的には楽しい、嬉しい、そして調和した美しい世界なのである。
(中村天風『運命を拓く』より)
天風氏は、世界そのものは本来苦しいものではないと断言します。
私たちが苦悩や摩擦を感じるのは、世界が本来持っている「調和」の流れに逆らい、自分の小さなエゴで力任せに物事をコントロールしようと「争っている」からなのです。
争わず、世界と調和するための稽古
合気道は、人を殺傷したり、対立して優劣を競ったりする武道ではありません。
合気道が究極的に目指しているのは、「争わず、人と、そして宇宙と調和すること」です。
座技の稽古で身体が動かず苦しいのは、正しい動きが身についていないところを鍛錬しているからです。座技は不自由な姿勢のため力みやすく相手を力で動かそうとぶつかりやすい。できないときほど自分のエゴが出やすいのです。
しかし、「相手を力で倒す」というエゴを手放し、相手の力の方向を静かに感じ取り、スッと気を合わせた瞬間。
先ほどまでの重さが消え、自分と相手がひとつの美しい流れとなって、自然に技が生まれることがあります。
思い通りにいかない苦しみは、自分が世界と不調和を起こしているサインです。
相手を感じ、相手と気を合わせる。
そのもどかしい遠回りの稽古が、不要な争いをなくし、自他共に栄える調和の世界へと至る道となっているのです。
この不器用な稽古の連続が、人としての高みへと繋がっている。
そう信じて、今日も道場で稽古を続けるのです。
今日の稽古
仕事や人間関係が思い通りにいかず、苦しみや悩みを感じるとき、自分にこう言い聞かせる。
「力任せに相手を動かそうとしていないか。相手と気を合わせようとしているか」
派手に打ち負かすことよりも、不器用でも相手と気を合わせる「遠回り」を選ぶ。
今日も私は、エゴを手放し、目の前の相手と調和する稽古を実践していく。
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■ この記事を書くにあたって読み返した本
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価格:770円 |

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