武道である以上、合気道の稽古は時にハードです。
足腰が立たなくなるほど激しく動く日もありますし、二教で関節を完璧に極められて戦意喪失する思いをすることもあります。
しかし、不思議なことに、稽古を続けていると「稽古のキツさすらも楽しい」と感じるようになります。
できないことができるようになる成長の喜び。稽古で汗を流すこと自体の爽快感。次々と現れる課題や壁に向き合い、それを乗り越えていくプロセスそのものが、人生の大きな楽しみになっていくのです。
私たちは真面目であるがゆえに、仕事でも人生でも「苦しみに耐えること」「歯を食いしばって頑張ること」をしかたがないと受動的に受け入れがちです。
しかし、本当に心身を健やかに保ち、力強く生きていくためには、その「苦しみ」への向き合い方を根本から変える必要があります。
人生は「耐え忍ぶもの」ではない
数多くの政財界のリーダーたちに影響を与えた中村天風氏は、著書『盛大な人生』の中で、自身の人生観についてこのように語っています。
さ、そこで私の人生観ですが、率直簡明に言う。一言で言えるんだから。
私の人生観はね、よろしいか、「苦しみを忍ぶとか、あるいは辛さを忍ぶというような、忍苦忍耐よりは、自己の命に―ここが聞きどこなんだよ―できるだけ喜びを多く味わわせて人生に生きる、そこに本当の生きがいがある」というのが私の人生観なんだ。わかったかい?
(中村天風『盛大な人生』より)
「苦しみを忍ぶこと」に価値を置くのではなく、「自己の命に、できるだけ喜びを多く味わわせること」。これこそが本当の生きがいであると天風氏は説きます。
ここで誤解してはならないのは、天風氏は「困難に耐えることがよくない」という意味ではないということです。
困難や課題は必ずやってきます。しかし、それを「辛い修行だ」と悲壮感を持って耐え忍ぶのではなく、自分の魂を成長させるための「喜びの種」として前向きに味わうこと。その積極的な心のあり方が、自分の命を輝かせる秘訣だというのです。
「腰投げ」の恐怖と、壁を越える喜び
合気道にも、壁を乗り越える喜びを教えてくれる場面が数多くあります。
私にとって、その大きな壁の一つだったのが、茶帯になる頃に習い始める「腰投げ」という技でした。
この技は、投げられる側にも受け身の技術が求められます。
初めて腰投げを受けた時、私は上手く受け身がとれず、空中で目が回り、背中からまともに落ちて息が詰まってしまいました。それ以来、腰投げの受け身をとるのがすっかり怖くなってしまいました。
もちろん、技をかける側としても非常に難しい技です。
相手を自分の腰に乗せる感覚がどうしても掴めず、茶帯を卒業して黒帯になっても、なかなか納得のいく腰投げができませんでした。
それでも、できない自分に苦悩せずに、あきらめることなく、地道に稽古を積み重ねました。
そうして試行錯誤を繰り返すうちに、ある日突然、相手を軽く腰に引っ掛け、スッと真下に崩す感覚が掴める瞬間が訪れました。力みなく、相手が吸い込まれるように落ちていく。
その時の達成感は、言葉では言い表せないほど大きなものでした。そしてその時には、受け身もしっかりと取れるようになり、恐怖心はいつしかなくなっていました。
課題があること自体を楽しむ
もし私が、腰投げの怖さや難しさを「単なる苦痛」として嫌々耐え忍んでいたら、合気道のことまで嫌になっていたかもしれません。
怖い。
難しい。
上手くいかない。
でも、その壁をどうやって乗り越えようかと工夫し、考え方や身体の使い方を模索する、その瞬間そのものを楽しんでいく。課題があって、それに全力で取り組めること自体が、「命に喜びを味わわせている状態」です。
仕事で行き詰まった時や、人生で困難に直面した時も同じです。
「なぜ自分ばかりこんな目に」と悲観的に耐えるのではなく、「この壁を越えたら、どれほど成長できるだろうか」と面白がってみる。
壁を乗り越えようとするプロセスそのものを楽しむ姿勢が、「人生を明るく喜びに満ちて生きる」という生きがいにつながっていくのです。
今日の稽古
困難にぶつかった時、自分にこう語りかける。
「この難しさすらも楽しもう」
苦しみを耐えるのではなく、喜びに変換する。
今日も私は、目の前の課題を成長の糧として積極的に楽しむ稽古を実践する。
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