目標が高ければ高いほど、現在地とのあまりのギャップに眩暈(めまい)がしそうになることがあります。
「本当にそこに辿り着けるのだろうか」
果てしない道のりを前に、今自分が踏み出そうとしている小さな一歩が、ひどくちっぽけで無意味なものに思えてしまう瞬間です。
高い目標と「一歩の積み重ね」は矛盾しない
稲盛和夫氏は、著書『京セラフィロソフィ』の中で、遥か高みを目指すことと、足元の地道な作業の両立についてこう述べています。
「一歩一歩の積み重ね」と「高い目標を掲げなさい」というのは、一見矛盾しているようですが、そうではありません。矛盾しているように見えても、それを矛盾としては駄目なのです。あくまでも高い目標を立てながらも、一歩一歩、足元を見ながら堅実に歩むことが肝心なのです。
(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)
高い山を登る時、山頂ばかりを見上げていては足元の石につまずいてしまいます。
逆に、足元ばかりを見ていては自分がどこへ向かっているのか見失ってしまいます。
高い目標を心に掲げながらも、視線はしっかりと足元に向け、今日の一歩を堅実に踏みしめる。
この二つは決して矛盾するものではないと、稲盛氏は説くのです。
果てしなく遠く見える「美しい技」
この「遥かなる目標と地道な一歩」の関係は、合気道において直面しやすい葛藤でもあります。
武道を通じて「人格を形成する」という目標は、あまりにも遠く、果てしない道のりに感じられます。
また、熟練の師範が動画などで見せる、柔らかく美しい技の数々。
それらを目にするたび、「とてつもなく遠い世界で、自分には到底できそうにない」と圧倒されてしまいます。
そんな遥かなる高みに対して、私たちが道場で行っている稽古は、極めて地味で単調な動きの繰り返しです。
一見無駄に見える稽古の先に、道はある
例えば「一教運動」という腕を上下に振る基本動作。
こんな動作を何百回繰り返したところで、一体何事を成し得るのかと疑いたくなるかもしれません。
あるいは、正座をした状態から技をかけ合う「座技(ざぎ)」。
現代の日常生活で正座のまま争う場面など想像すらできず、その実用性のなさに虚しく感じる時もあるでしょう。
しかし、そうではないのです。
決して手が届かないと思えるあの柔らかく美しい技も、人格の完成という遥かなる目標も、すべてはこの一見無駄に思える地道な一歩一歩の積み重ねの「先」に、確かに存在しているのです。
目指すべき場所は、しっかりとあります。
人として正しくあるべき確かな道なのです。
だから、歩みを止めません。
目の前の一つの稽古から逃げず、ただ真摯に向き合うこと。
その地味な一歩の先に、道は間違いなく続いているのです。
今日の稽古
理想の姿があまりにも遠く、足元の地道な作業が虚しくなっていないか。
「高い目標」と「一歩の積み重ね」は決して矛盾しない。
果てしない道のりに足が止まりそうになった時、自分にこう語りかける。
「目指す場所は確かにある。今日も一歩前に進もう」と。
一見無駄に見えるような基本動作の中にも、大いなる道は繋がっている。
今日も私は、遥かなる高みを目指しつつ、足元の一歩を堅実に歩む稽古を実践する。
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