明日のことが気になって、今日の仕事に身が入らない日があります。
まだ起きていないことを考えて、不安になって、目の前の手が止まる。
デール・カーネギー氏は『道は開ける』で、過去と同じように未来も閉め出せ、と言います。今日一日の区切りで生きよ、と。
ただ、区切ることは、明日を捨てたり、無視したりすることではありません。
合気道には、残心があります。
技をかけたあとも、気を抜かずに相手に向き合い続けること。
一本ずつ、ここできちんと区切るから、次にもすぐ向き合える。
区切りがあるからこそ、途切れない。
稽古の中の区切り方と、それを仕事でどう使っているかを書きます。
デール・カーネギー「未来もきっぱりと閉め出しなさい」

過去と同様、未来もきっぱりと閉め出しなさい。未来とは今日のことです……明日など存在しないのです……人が救われるのは今日という日なのです。
(デール・カーネギー『道は開ける』より)
明日など存在しない、と言い切ります。
明日の心配を今日に持ち込むと、今日の手が止まります。
カーネギー氏が閉め出せと言っているのは、明日そのものではなく、今日を止めてしまう明日の心配のほうなのです。
合気道では、技を一つずつ区切っている
稽古の流れは、こうです。
まず、相手と正対する。技をかける。投げたあと、残心をとる。
技を一つかけるとき、残心までで一区切りします。
投げるときに、次はどうしよう、とは考えません。
いまの一本を、しっかり仕上げることだけに意識が向かっています。
いまの技の途中で次の技のことを考えはじめると、いまの技すら仕上がりません。
目の前の一本に集中し切る。
それが、稽古の前提です。
区切っても、気はつながっている
一本ずつ区切っているのに、周りから見ると、一連の流れるような連続技に見えます。
気は途切れさせていないからです。
それでもその中で、しっかり区切っている。
その役目をしているのが、残心です。
投げたあとも相手から気を離さず、そこで一本を締めくくる。
残心で区切りをつけているから、相手が起き上がって攻めてきても、そこからすぐに合わせることができます。
区切りと、途切れないことは、相反するものではありません。
きちんと区切るから、次の始まりにすばやく対応できる。
明日を考えないのではなく、今日を仕上げる

明日のことを考えないわけではありません。配慮はします。
私は前の日に、翌日の計画を時間単位で書き出しておきます。
翌日は、その計画に沿って仕事をする。
とはいえ、嵐のように仕事が降ってくるので、適宜修正しながら進めます。
一日の想定はしておく。準備はする。でも、いまのその瞬間は、やるべきことに集中する。
今日の途中で明日を心配しはじめると、今日が中途半端になります。
今この瞬間を懸命に生き切ることが、結果として明日につながる。
残心で一本を区切って、次の一本に向き合う。
それを繰り返していくと、外から見れば途切れない流れになっています。
今の連続が、明日を作ります。
仕事では、区切りを「判断」でつける
そうはいっても、仕事は稽古のように一本ずつ順番には来ません。
何かに集中して取り組んでいても、緊急の電話がかかってくる。報連相がある。トラブルの連絡が入る。
同時多発的に、いろいろなことが起きます。そのたびに優先順位を変えて、急ぎの対応に回る必要が出てきます。
それでも、やっていることは同じです。
いまやるべきことはこれだ、と判断する。その判断が、区切りになります。
そして、その業務を一定のレベルになるまで集中してやる。
そこでけじめをつけて、次のことに向かう。
タスクは、同時並行に存在します。ただ、やるのは目の前の一つです。
これが、仕事の現実です。
相手が起き上がって攻めてきても、残心で区切っているから、すぐに合わせられる。
割り込んできた電話も、同じです。
いまの一本に、判断という区切りをつければ、次にすぐ向き合えます。
今日の稽古

明日のことが気になって手が止まっているとき、こう自分に問いかける。
「いまの一本を、仕上げたか」と。
今日も私は、残心で区切る稽古を続ける。
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