闘う相手は誰か

「闘争心」と聞くと、
どこか荒々しい響きを感じます。

誰かに勝つ。
相手を打ち負かす。

そんなイメージが頭に浮かぶのではないでしょうか。

闘争心を燃やす

稲盛和夫氏はこう言います

実際は、一生懸命に努力をした者、誰にも負けないような努力をした者が世の中に適応して生き残り、努力をしなかった者は絶えていく、この適者生存こそが自然界の掟なのです。ですから、私たちが持つべき闘争心とは、相手を倒すためのものではなくて、自分が精一杯生きていくためのものでなければなりません。(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)

「適者生存」

努力をして適応しなければ、淘汰される。

とても厳しい。

そして、次の一節が私にはとても印象に残りました。

闘争心は、
相手を倒すためではなく、
自分が精一杯生きるためのものだ、と。

争わない武道

合気道は、
相手を打ち負かすための武道ではありません。

殴り倒すこともなければ、
力でねじ伏せることもしない。

相手と向き合い、

相手の気の流れを感じ、

逆らわずに制する。

その過程で自分の未熟さが見えてくる。

ぶつからない。

争わない。

けれどそれは、
弱さではありません。

自分から逃げないという強さです。

闘う相手は誰か

人に勝つことを目標にすると、
どこかで心が荒れる。

けれど、自分の弱さに向き合う闘いは、
終わりがありません。

昨日よりも一歩でも前へ。

甘えずに、
言い訳せずに、
できることを積み重ねる。

派手ではない。

けれど確実に、
自分を磨いていく。

本日の極意

闘う相手は他人ではない。
精一杯生きるために、自分と向き合う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました