「失敗するのが怖くて、新しいことに踏み出せない」
「怒られるのが嫌で、つい無難な道を選んでしまう」……。
私たちは「こわいもの」をネガティブな感情として捉え、できるだけ避けようとします。
「こわいものがなければ、もっと自由に動けるのに」と思うことがあります。
しかし、それは本当に、ないほうがよいものなのでしょうか。
今日は、松下幸之助氏が説く「こわいもの知らずの危険性」と、合気道における「投げられるこわさ」を通して、恐怖心を味方につけて自分自身を律していく心のあり方についてお話しします。
松下幸之助が説く「こわいもの」の効用
松下幸之助氏は、人間にとっての「こわいもの」の存在意義をこう語っています。
せめて何かのこわいものによって、これを恐れ、これにしかられながら、自分で自分を律することを心がけたい。
こわいもの知らずということほど危険なことはない。時には、なければよいと思うようなこわいものにも、見方によっては、やはり一利があり一得があるのである。
(松下幸之助『道をひらく』より)
「こわいもの知らずということほど危険なことはない」。
松下氏は、恐れる対象がない状態を戒めています。
失敗の怖さ、厳しく叱ってくれる人の存在、あるいは社会のルール。
そうした「こわいもの」があるからこそ、私たちはわがままな振る舞いを控え、自分の行動を律することができます。
一見、ないほうが自由になれると思う「こわさ」には、実は私たちの暴走を止め、人格を高める道へと導く大切なセンサーの役割を果たすのです。
合気道「受けの恐怖」が身体の感覚を研ぎ澄ます
この「こわいという感覚が役に立つ」という教えは、合気道で実感することがあります。
合気道の技には、空中で一回転する「飛び受け身」を強いられるものや、「腰投げ」「十字投げ」といった、受け身をとるのが難しい技がいくつもあります。
「ちゃんと受け身がとれるか」
「痛くないか」
「一瞬の崩しに反応できるか」
特に白帯の初心者は、危なくてケガをしそうな恐怖で、つい身体がこわばってしまうことがあります。「こんなこわい技、受けたくない」と立ちすくむことも少なくありません。
しかし、その「こわい」という本能的な感覚があるからこそ、私たちは必死に学びます。
どうすればケガをせず安全に受け身がとれるのか。
恐怖で力むのではなく、どのように「脱力」して、相手の力の流れに逆らわず自然に動けばいいのか。
「受け身がとれず、ケガをするかもしれない」という恐怖心が、結果的に身体感覚を研ぎ澄ませ、自然な身体の理合いを体得させてくれるのです。
恐怖を知るからこそ、相手を導ける
さらに、この「受けの恐怖」を経験したことは、自分が技をかける側に回った時にも効果を発揮します。
自分がさんざんこわい思いをしてきたからこそ、「ここから先は危険だ」というポイントが皮膚感覚で分かります。だからこそ、相手の技量に合わせて力を加減し、絶対にケガをさせないように神経を集中させながら、相手を優しく導くことができるのです。
仕事でも同じです。
失敗の恐怖を知り、痛い思いをしたことがある人は、自分を律し、他人の痛みにも寄り添うことができます。
「こわいもの知らず」で突き進むのではなく、恐怖を正しく恐れ、恐怖を道しるべにして自分を磨いていく。こわさすらも自分の成長の糧にしていくのです。
今日の稽古
新しい挑戦、厳しい叱責に「こわい」と足がすくみそうな時には、自分にこう言い聞かせる。
「この恐怖感が、私を致命傷から守り、成長へと導いてくれるのだ」
こわいものから逃げず、恐怖の感覚を利用して自分を律していく。
今日も私は、恐怖を正しく受け止め、しなやかな成長へと変えていく稽古を実践する。
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