感謝が生まれるとき

うまくいったとき、
どこかで「自分の力だ」と思ってしまうときがある。

努力したのは自分。
決断したのも自分。

もちろん、

それは事実なのかもしれません。

けれど、

本当にそうなのでしょうか。

本当にそう思っていいのでしょうか。

京セラフィロソフィの言葉

京セラフィロソフィに、こんな一節があります。

周りの人のおかげでこんにちの自分はある、という気持ちで謙り、感謝の気持ちを持たなければなりません。(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)

感謝。

耳障りの良いきれいな言葉。

小さい心から聞かされた言葉。

当たり前すぎて深く考えることもない言葉。

生きていれば勝手に身につくものと錯覚しやすい言葉。

この一節に触れて改めて考えてみると、

今の自分は誰かとの関わりの中で形づくられたのだと気づきます。

稽古の前と後の一礼

合気道では、技を始める前と終わった後に、
必ず正座をして向き合い、一礼します。

「お願いします。」

「ありがとうございました。」

稽古中に何度も繰り返す所作です。

相手がいなければ、技の稽古ができません。

しっかりと攻撃してくれる人がいるから、
自分の足りないところがわかる。

真剣に受けてくれる人がいるから、
自分も真剣に技をかけるができる。

稽古は、
常に“おかげで”成り立っています。

支えられているという事実

仕事も、家庭も、
ひとりで完結することはできません。

直接助けてもらったこと。
厳しい言葉をもらったこと。
見えないところで助けてくれている人。

そういう支えがあって、
今の自分がある。

そう思えたとき、
自然に頭が下がる。


何気ない日常の中で、

その支えの存在に気づいたとき自然と感謝が生まれてきます。

本日の極意

自分ひとりで立っているのではない。
支えられていることに気づいたとき、感謝が生まれる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました