現代は、スマートフォンを開けばあらゆる情報が手に入る時代です。
仕事のノウハウも、趣味の上達法も、優れた解説動画や実用書が溢れています。
しかし、私たちは「わかりやすい解説」を見て頭で理解しただけで、つい「自分にもできる」という錯覚に陥ってはいないでしょうか。
講義をきくだけでは泳げない
松下幸之助氏は、著書『道をひらく』の中で、知識と実践の埋めがたい溝について「水泳」を例に挙げて厳しく指摘しています。
ここに非常な水泳の名人がいるとする。そしてこの名人から、いかにすれば水泳が上達するかという講義をきくとする。かりに三年間、休まず怠らず、微に入り細にわたって懇切丁寧に講義を受け、水泳の理を教えられ、泳ぎの心がけをきかされる。それでめでたく卒業のゆるしを得たとする。だがはたして、それだけで実際に直ちに泳ぎができるであろうか。
いかに成績優秀な生徒でも、それだけですぐさま水に放りこまれたらどうなるか。たちまちブクブク疑いなし。講義をきくだけでは泳げないのである。
(松下幸之助『道をひらく』より)
どんなに優秀な頭脳で「泳ぎの理屈」を完璧に理解しても、実際に水に入らなければ、たちまち溺れてしまう。
知識だけでは決して泳げるようにはならないのです。
「動画を見ただけの錯覚」が打ち砕かれる場所
この「頭でわかったつもりになる錯覚」は、合気道の道場で見事に打ち砕かれます。
今は合気道の世界も、素晴らしい達人たちの演武や、丁寧な技の解説動画を簡単に見ることができます。
実技書を読み、動画を何度も再生して「なるほど、ここでこう動くのか」と完璧にわかった気になって道場へ向かう。
しかし、実際に道場で相手と組み合い、技をかけようとすると、すぐに愕然とします。
相手がまったく動かないのです。
動画のようには崩れない。
気を合わせる感覚がまったくつかめない。
もっとも基本的な技すら、力んでしまって全くかかりません。
いかに実技書を読み、動画で理屈を知っていても、それだけでは合気道の技は絶対にかからないのです。
体験のうえに理論はいきる
実際に道着を着て、不格好に受け身を取り、自分の思い通りにならない相手と向き合いながら何度も技をかける。
そうした生々しい体験をして、初めて身体が理屈を理解し始めます。
頭で集めた知識(理論)は、汗を流した体験という土台の上に乗って、初めて「生きた技術」へと変わるのです。
高段者の先生方が見せる、簡単そうに見えるあの美しく柔らかい技。
地道に、懸命に、途方もない回数の基本稽古を身体で繰り返してきたからこそ、ようやくできるようになったものなのです。
今日の稽古
情報に触れただけで、わかったつもりになりそうな時、自分にこう言い聞かせる。
「実践のうえに理論はいきる」
動画を見ているだけでできるようになる錯覚を戒める。
今日も私は、頭でわかったつもりにならず、地道に身体を動かして実践する稽古を繰り返す。
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