仕事の現場で、私たちはつい「自分のこれまでの経験ややり方が正しい」「自分の考えに間違いはない」と錯覚してしまうことがあります。
そして、自分の「正しさ」を他者にも求め、思い通りに動かない部下や、異なる意見を持つチームメンバーに対して、イライラを募らせてしまう。
しかし、そうやって己の正しさを主張し、相手に完璧を求めれば求めるほど、職場の空気はギスギスし、物事はうまくいかなくなっていきます。
そうやって私たちは、他者に完全を求め、相手も自分も苦しくなってくる。
不完全だからこそ、調和が生まれる
松下幸之助氏は、著書『続・道をひらく』の中で、こうした人間の陥りやすいエゴについて次のように述べています。
人はとかく、己の考え、なすことを完全無欠と錯覚し、みずからをひとり高しとして、他にもその完全無欠を求めんとしがちである。しかしそこに生まれるのは、いたずらな対立といさかいと、そして破たんだけであろう。 完全無欠でないからこそ、調和が必要なのである。
(松下幸之助『続・道をひらく』より)
私たちは誰も完璧な人はいません。
自分に欠けているものがあるからこそ、他者と補い合い、調和していく必要があるのです。
予測不能な動きが「傲慢さ」を打ち砕く
この「不完全だからこそ調和する」という真理は、合気道において、具体的な身体感覚として実感することがあります。
合気道の稽古では、初心者も長年稽古を積んだ高段者も、老若男女の区別なく一緒になって技を掛け合います。技量もまちまちです。
いかに熟練した高段者であっても、初心者と組むことでこれまで持たれたことのないような不器用な掴まれ方をし、戸惑う瞬間があります。
また、突きに対する稽古でも、初心者ならではの予測がつかないタイミングや方向で突いてくることで、高段者同士ならいつも軽く捌けているのに、逆に突きを当てられてしまうこともあります。
もしここで「お前の動きは型通りではない」と相手を否定してしまえば、ただ「対立」するだけです。そして自分が「教えてやるんだ」という傲慢さが芽生え、相手への礼をも失ってしまいます。
そうではなく、自分の至らなさを認め、素直に稽古に向き合う。相手の気を感じて、こちらから合わせにいく。
すると相手がどんな不器用に動いても、そういった表面的なところには惑わされずに、全体を視野に入れて大きく捌いていくことができるようになります。
ビジネスにおける部下や後輩との関係でも似たような風景に出くわすことがあるでしょう。
部下の不器用な提案や、想定外の意見のなかに、自分の死角を突き、会社を成長させるヒントが隠れていることがあります。しかし、上司が自分の能力を鼻にかけるタイプだと部下の貴重な意見は見過ごされ、後輩の才能の芽は潰されてしまうことでしょう。
熟練した高段者からだけではなく、未熟な初心者からも学ぶ。
相手が誰であろうと、どんな時でも成長の糧は必ずある。
一人ひとりがその謙虚さを持って相手と向き合うことで、道場も職場も「調和」することができるのです。
今日の稽古
他人に完璧を求めてイライラしそうになった時、自分にこう語りかける。
「自分も完璧ではないんだ。相手から学ぶ謙虚さを忘れていないか」と。
私たちは不完全だからこそ、互いを必要とし、調和することができる。
今日も私は「自分だけが正しい」という錯覚を捨て、謙虚に学ぶ稽古を実践する。
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