形よりも「理」。稲盛和夫と合気道に学ぶ、迷いを断ち切る「原理原則」の稽古

稲盛和夫

「情報が溢れ、いったい何を信じていいのかわからない」と戸惑うことはありませんか?

周囲の期待や利害に振り回されている。
何を基準に考えていけばいいのかわからない。

そんな苦しみの中にいる私たちに、誰が見ても、たとえ時代が変わっても揺るがない「北極星」のような正しい基準はあるのでしょうか?

今日は、稲盛和夫氏が説く「人間として正しいか」という判断基準と、合気道の稽古で追求する「理(原理原則)」についてお話しします。
小手先のテクニックではない、一生モノの「人生の軸」となるヒントが見つかるはずです。

稲盛和夫が説く「人間として正しいか」という究極の基準

稲盛和夫氏は、経営や人生における判断の拠り所についてこのように述べています。

経営者は、世間一般の道徳に反することなく、人間として何が正しいのかという判断基準で物事を判断していかなければならないのです。
つまり、どんな時代になろうとも、「人間として正しいものは何なのか」ということを基準として判断をしなければならない、それを「原理原則にしたがって判断する」と言っているわけです。
そして、この京セラフィロソフィそのものが原理原則であるからこそ、判断基準たり得るのです。
(稲盛和夫『京セラフィロソフィ』より)

「損か得か」ではなく「人間として正しいか」。
稲盛氏は、あっけないほどのこのシンプル考え方が、混迷の時代にこそ求められる原理原則だと語っているのです。

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合気道の「理」:形を超えた内側の正しさ

合気道の稽古においても、原理原則つまり技の理に沿っているかどうかが問われます。
表面的な動きだけで相手を倒そうとしても、技はかかりません。

「気が出ているか」
「相手の丹田(中心)と合っているか」
「間合い、角度、タイミングは適切か」

こうした理に沿っていない動きは、形だけできていても相手との関係が切れてしまい、意味をなしません。逆に、理にかなった動きは、嫌みなく相手と調和し、相手は反発する意思さえ生じずに、導かれていきます。

この合気道の「理」を究めていくプロセスは、武道の修行であり、「人格形成」という道へと繋がっているのです。

迷ったときこそ「原理原則」に立ち返る

仕事や人間関係で迷いが生じたとき、私たちはつい「どうすればうまくいくか」というテクニックを探しがちです。しかし、そんな時こそ一呼吸おいて、自分に問いかけてみてください。

「これは人として正しいことなのか?」
「表面的な対応ではなく、人として筋が通った対応となっているか?」

形だけに囚われず、その根本にある「正しさ(原理原則)」を追求する。
その稽古を積み重ねることで、あなたの人生の軸は、しなやかでブレないものになっていきます。

今日の稽古

何か判断するときに、こう自分に問いかける。
「これは、人として正しいのか?」と。

これからも、人生の軸をつくる「原理原則」の稽古をともに続けていきましょう。

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