新しい習慣を身につけようとするとき、あるいは自己を律しようとしたとき、私たちは慣れない動作に「苦痛」や「窮屈さ」を感じてしまいます。
「いつまでこの努力を続ければいいのか」と心が折れそうになることもあるでしょう。
しかし、その先には、努力が努力でなくなる瞬間が待っているのです。
今日は、松下幸之助氏が説く「鍛え抜かれた美しさ」と、合気道の「稽古で養った美しさ」についてお話しします。
今の苦しさが、あなたを「本物の美しさ」へと導くプロセスだということに気づくことができます。
松下幸之助が説く「苦しさ」が「美しさ」へ昇華するプロセス
松下幸之助氏は、厳しさの先にある人間的な成長についてこのように述べています。
きびしい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、それがしだいに苦痛でなくなってくる。戒律を戒律と思う間は苦痛である。しかし、その戒律がいつしか身につき、日常坐臥に自然のふるまいとなってあらわれる時、もはやそれは苦痛ではない。そして、このきびしさを苦痛と感じなくなったとき、そこからきたえぬかれた人間の美しさがにじみ出てくるのである。
(松下幸之助『道をひらく』より)
戒律や修行には苦痛が伴います。
しかし、それが気にならない、当たり前のふるまいとして身についたとき、内側から気品と美しさがにじみ出てきます。
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初段を越えて「合気道の身体」になる
この「戒律が自然なふるまいになる」感覚は、合気道でも感じることがあります。
初心者の頃は、合気道の動きは普段使わないような身体の使い方のため、まったく思い通りにならず、とにかくもどかしさを感じます。「こう動かしたい」と思っても、身体が反応してくれません。
しかし、まじめに稽古を重ね、初段(黒帯)になる頃に変化が起こります。意識をしなくても、身体が勝手に「合気道の動き」になっているのです。
そこから本当の稽古が始まります。
相手と「気」を合わせる
力ではなく「脱力」で相手を導く
形を追う稽古を抜け、こうした高みのある稽古に変わるとき、合気道の技に「美しさ」が現れてきます。
「自然のふるまい」になるまで高める
生き方や読書も同じです。
最初は「原理原則」を守ることに必死かもしれません。
「毎日10個の感謝を書く」
「稲盛氏の哲学を反芻する」
「本を毎日読む」
それを苦痛に感じているときは、それはまだ身についていない段階です。
それを何度も繰り返し、日常の中に取り入れていく。
するといつしか、
意識せずに「人として正しい判断」ができる、
意識せずに「感謝」が口を突いて出る、
そんな瞬間がきます。
そのときのあなたには「鍛え抜かれた美しさ」が備わっているのです。
今日の稽古
何か仕事の厳しさにぶつかったとき、こう自分に問いかける。
「美しい自然な所作になるくらい、自分は頑張っているのか」
自分の壁を突き抜けるには、ときにはそのくらいの頑張りが必要なときがあります。
苦しさで挫けそうになとき、こういう力強い考えにも思いを巡らせてみたい。
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